ナイジェリアの貧困地域から世界へ(2)

ことの始まりは3,4年前に遡る。詳しく説明すると1週間ほどかかるから、こちらのナイジェリアのイガンムFCの映像 を見てもらえればある程度は理解できるだろう。株式会社フォワードの加藤社長とイガンムFCのオーナーであるアバヨミ氏の2人が始めた、ナイジェリアの貧困地域からメッシ超えの選手、バルサ超えのチームを作り出すことに端を発する。

加藤社長とアバヨミ氏がナイジェリアで奮闘する中、今回の「U12 ジュニアサッカー ワールドチャレンジ2019」にナイジェリア選抜として出場することになったのだ。ナイジェリア選抜と言っても、ナイジェリアは人口が2億人弱。北はボコハラムの地域になる。ナイジェリア全土から選手を選抜するには時間、お金、安全面、全てにおいて不可能である。よってイガンムFCの拠点であるラゴス周辺の貧困地域を含めた地区から、今年のゴールデンウィーク頃にトライアウトを行い選手を集めたのだ。

トライアウトに来た選手を見極めるのもナイジェリア流だ。ゲーム中はビブスを着ているものの、ビブスには背番号が記されていない。うまい選手を見つけると、都度ゲームを中断させて名前と年齢を聞き出すのだ。自分がナイジェリアでトライアウトに同席した時は、50人のトライアウトに対して、150人にほどのトライアウトを受けられない選手たちがスタジアムに来ていた。彼らはトライアウトを受けぬままスタジアムを後にすると思いきや、トライアウト終了後には観戦料を要求してくるのだ。それもとびきりの笑顔と困り顔で。そして観戦料をこちらが払うのだ。空港職員でも同じような手合いだ。それもまたナイジェリア流。スプリントのテストをすれば、ゴール地点に大人が立って走ってくる子供を待ち受ける。そして早くゴールした選手を抱きかかえる。ストップウォッチで計測するようなことはしない。誰が一番速いかはたった一度のスプリントテストでわかるからだ。もちろんストップウォッチを持っていないことは言うまでもない。したがってスプリントタイムは不明だ。ちなみに、今回の大会の決勝戦でゴールを決めたダヨは、スプリントテストで誰よりも速かったから選ばれたのだ。ダヨの両親はすでに他界しており、かつ、帰るべき家の無い幼いサッカー選手だ。その彼が広州富力からゴールをあげて優勝したのである。込み上げてくるものがある。

そんなトライアウトを行い、イガンムFCが中心となって結成されたナイジェリア選抜は、前回のブログ(1 にあるようにドタバタで来日に向けて準備を始めるのだ。

ここで2つほど紹介したいエピソードがある。今回のナイジェリア選抜の来日は、加藤社長とアバヨミ氏の尽力と少なくない持ち出しで実現したものであるということ。それに日本国内では、移動手段や宿泊施設に用具等に関して、若き勇敢なナイジェリア選抜を応援したい日本人やナイジェリア人のサポートもあったのだ。

また、今回のナイジェリア選抜に選ばれていたアデオラ選手は、来日直前の交通事故で亡くなってしまったのだ。若き勇敢なナイジェリア選抜の選手たちは、アデオラ選手の顔写真と名前の入ったレガースを着用して全ての試合を戦い、優勝した直後には選手全員がレガースを観客席に掲げたのだ。

亡くなって来日ができなかったアデオラ選手。ご冥福をお祈りします。




観客にアデオラの顔写真と名前の入ったレガースを掲げる若き勇敢なナイジェリア選抜。




表彰式の記念撮影でもアデオラの名前と顔がプリントされだレガースを手に持つナイジェリア選抜。







つづく