ナイジェリアの貧困地域から世界へ(1.5)

「ナイジェリアからメッシ超えバルサ超え」「ナイジェリアからバロンドーラーを輩出する」。ヨルバ語と英語と日本語を巧みに操るアバヨミ氏と、高校サッカー選手権で最優秀選手に輝いた加藤社長の2人が4年前に掲げた目標である。

アバヨミ氏はナイジェリアのラゴス近くのゲットーで生まれ育ち、紆余曲折を経て来日した苦労人だ。なぜならナイジェリアのゲットーにはチャンスがないのだ。ほぼゼロだ。そんな環境下で何とかチャンスを掴んだアバヨミ氏は来日してしばらくは日本で生活するようになる。ところが日本から十数年振りにゲットーに戻ったアバヨミ氏の目に映った光景は、昔と何も変わらない、いや、むしろ生活環境が劣悪になっているゲットーの現状であった。そこでアバヨミ氏は一計を案じて生まれ育った愛するこの劣悪なゲットーを、住みやすい街に変える方法の一つとしてプロサッカークラブの運営を始めようとしたのだ。しかしアバヨミ氏一人では資金や工数やノウハウが十分ではなかったのだ。そこでアバヨミ氏が声をかけたのが加藤社長だった。

加藤社長は高校サッカー選手権で最優秀選手に選ばれた実力者でありながらも、サッカーは選手権後にやめて一般受験で大学(MARCH)に入学をしたのだ。卒業後は一流企業に勤めてほどなく独立起業を果たした。その頃から一度きりの人生の中で「メッシ超えバルサ超え」を目標にカンボジアでプロサッカークラブの経営にも乗り出した人物だ。

そんな加藤社長にアバヨミ氏が声をかけて始まったのが、ナイジェリアでのプロサッカークラブ「イガンムFC」の創設なのだ。ナイジェリアでイガンムFCの創設が始まった頃に、ナイジェリアに飛んで現地でイガンムFCを取材をしていたのが岸田カメラマンだ。もともと岸田カメラマンは自分と仕事をしていた間柄で旧知の仲だ。その岸田カメラマンがナイジェリアで取材活動をしている様子をフェイスブックで知ることになり、興味が湧いて自分から岸田カメラマンにメッセージを送ったのだ。一体ナイジェリアで何をしてるのか。と言う問いに、岸田カメラマンは、アバヨミ氏と加藤社長のプロジェクトを教えてくれたのだ。ほどなくして岸田カメラマンの取り計らいで、自分は加藤社長と会うことになり、そのままイガンムFCのプロジェクトに加わることとなった。アバヨミ氏と加藤社長と岸田カメラマンの人間性と、それにナイジェリアで壮大な雲をつかむようなプロジェクトに惚れてジョインしたのだ。ジョインした時はこのプロジェクトが成就しなくても問題ないと思っていた。なぜならこのメンバーで仕事ができるだけで、計り知れないほどの貴重な経験となることが理解できていたからだ。

また他にも重要なメンバーが存在する。いまはバングラデシュを中心にアセアン地域で活躍する田口氏と、元Jリーガーでジュビロ磐田でも活躍したカレン・ロバートの2人だ。彼ら2人も早い時期からナイジェリアのプロジェクトにジョインしているアーリーアダプターなのだ。そのほかにも沢山のステークホルダーいてナイジェリアのイガンムFCのプロジェクトは進んでいる。

今回のU12のナイジェリア選抜が「U12ジュニアサッカー ワールドチャレンジ2019」に参加できたのは、前述したようなナイジェリアのイガンムFCのプロジェクトが母体となって実現したのだ。田口氏とカレン・ロバートの協力や、加藤社長とアバヨミ氏の少なくない持ち出しと、本当に多くの支援者の協力が存在する。株式会社フォワードの社員さんやインターン。それにアバヨミ氏の奥様。木更津でのサポートや宿泊先の提供をしてくれた人々。バスを貸し出した平川氏。そのバスを昼夜問わず10日間も運転し続けた早川氏。大阪での宿泊先の提供をしてくれた宮城氏。ゲームシャツやレガースやスパイクを提供した人たち。数え始めたらキリがないのだ。

今回のU12ジュニアサッカー ワールドチャレンジでの優勝は、ナイジェリア選抜の子供たちの自らの力と、多くの支援者によって叶えられたのだと、アバヨミ氏と加藤社長は言う。どこまでも謙虚な2人だ。しかし、彼ら2人の想いの元に集まった仲間たちや協力者たちから言わせれば、アバヨミ氏と加藤社長の功績が大きいのだ。

今回、若き勇敢なナイジェリア選抜は、一枚目の夢の扉を開けたのだ。これからも次々と未来への扉を開けて飛び立っていくナイジェリア選抜を引き続き見てみたい。