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2018.12.03 お知らせ

三笠製作所 40周年記念講演会の様子【千田 健太氏】

プレッシャーを味わえる幸せ。オリンピックで頂点を極めるまでの道のり

ロンドン五輪・フェンシング銀メダリスト千田 健太氏の講演会を2018年12月3日、三笠製作所扶桑工場ショールームにて開催した。

千田氏は中学1年生からフェンシングを始め、2016年に現役を引退。その後、フェンシング協会の理事を勤め、現在は日本スポーツ振興センターのハイパフォーマンス戦略部でスポーツの発展に貢献している。

「自分はフェンシングの才能がない」と千田氏は語る。

身体の大きさ、リーチの長さなど体格的には恵まれなかったが、フットワークや練習量で自分の闘い方を確立させてカバーした。

2008年北京オリンピックに出場したが、ベスト16と本人にとっては悔しい結果で終わってしまった。その後も次のオリンピックを目指すが足首の怪我に悩まされる。そして2011年に発生した東日本大震災によって故郷の宮崎市が被災する。

そんな中「フェンシングを続けていてもよいのか」「自分は人の役に立っていないのではないか」と、悩んだ時期もあったが結果を出すことによって 被災された方に元気を与えたいと考え、リハビリや練習に必死で取り組んだとのこと。

こうして自身の人生を賭けて、2012年ロンドンオリンピックに臨んだ。

千田氏は男子フルーレ団体選手として出場。
下馬評は決して高くなかったが、チーム全員がオリンピックに照準を合わせた調整がうまくいったこと、また運も重なり要所要所で奇跡的なプレーをすることができた。 千田氏も世界ランキング2位の中国の選手には一度も勝ったことはなかったが、オリンピック本番では勝つことができた。そして迎えた決勝戦。強豪国イタリアに対し惜しくも敗退。結果は銀メダルとなった。

オリンピック前の震災直後は、スポーツをしてても被災した人々や地域に対して「何の役にも立っていない」と無力感を感じることもあったが、オリンピックで銀メダルをとって地元の方が喜んでくれたのでとても嬉しかったと千田氏は笑顔で語った。

その後リオオリンピックを目指したが結果、オリンピック出場権が獲れず2016年引退を決意する。

競技人生を振り返り、「何度も同じ相手に負けて、対策して勝てるようになった。」「しかしまた同じ相手に負けたり、若手に足元を救われてしまったりすることもあったが、その経験も次の勝負に活かされることもあり、努力したことは決して無駄にはならないと感じた」

今後はスポーツに対して支援をしていく立場として、スポーツの発展に力を注ぎ、スポーツを通して人生を豊かにしてる環境作りをしていきたいと強く語った。