絵本『Zip & Candy ~ ロボットたちのクリスマス~』のキャンディちゃんを作ろう!

西野亮廣作、絵本『Zip & Candy ~ ロボットたちのクリスマス~』に登場する1/1実物のキャンディちゃんを誕生させるきっかけは、どうやらいつもの西野くんのノリのようで、ポジティブに割愛させてもらって、絵本の中のキャンディちゃんが実物としてどうやって誕生(制作)していったのかを忘れないうちにブログに書いておこうかな。

階段も上り下りできないような、わかりやすくいえば高機能ではないロボットで、絵本の中では少し弱々しく愛くるしい純粋なキャラクター。物語の背景にある西野くんの思い出話(おばあちゃんの話で、個人的には堤下くんのくだりが好き)も聞かせてもらって、キャンディちゃんにすごく興味が湧いた。あの可愛いキャンディちゃんはおばあちゃんに想いを馳せているのか、と。

さて、実物のキャンディちゃんを誕生させるにあたって、まずは絵本を3冊購入してよくよく読んでみた。一冊は熟読用。もう一冊はメモ用。そしてもう一冊は予備。ボールペンで描かれたジップやキャンディちゃんは、ロボットたちなのに人間のような表情をみせる。顔や体も様々な角度から描かれていて、その都度に喜怒哀楽が垣間見える。これって凄いことで、特にキャンディちゃんの顔は昔気質のロボット然としている表情なので、喜怒哀楽である目が垂れたり吊り上がったりした表情は描けないし、そもそもキャンディちゃんには鼻と口らしきものがないのだ。それなのに表情が見て取れる。天才や。

夏には音楽劇『Zip&Candy』も鑑賞しに行ってみた。音楽劇ではキャンディちゃんやジップを演じるのは役者さんたち。そう人間。その人間である役者さんたちがキャンディやジップをどう感じて演じているのかをどうしても観ておきたかった。役者さんが演じるキャンディちゃんは、やはり少し弱々しく愛くるしい純粋なキャラクターだった。そして、昔気質でロボット然としているのに、時折り可愛いさを覗かせるのだ。さすがや。

絵本を読み解き、音楽劇を鑑賞して、次にキャンディちゃんを作った博士の気持ちを考えてみた。生みの親であり育ての親だ。しかもキャンディちゃんは高性能ではないために、キャンディちゃんのメモリ容量は少なく、新しいことを見聞きすれば過去のメモリーが削除され、新しいものに上書きされてしまう。昔の思い出が消えてしまうのだ。博士にとってはそれがジレンマの一つ。博士が最新の工作機械や工具やデバイスを持っていればキャンディちゃんのCPUを最新のものにアップデート出来たかもしれないけれど、それが出来ないのだ。いや、おそらく出来ないのだ。おそらくというのは、アップデートは出来るのだけれど敢えてキャンディちゃんをそのままの状態にしているとは考えにくく、博士が持っている全ての工作機械や工具やデバイスを総動員して生み出したのが、いまのキャンディちゃんなのだろう。

それらを踏まえて、キャンディちゃんの製作構想を練り始めてみた。博士の持っている数少ない性能の良くない工作機械に工具で製作したキャンディちゃんの顔や体は手作り? それに顔や体の材質はスティールだろう。動力は? 時速は? 声は? 毎日毎日いろいろと考えてみた。けれどもそれらと同じくらい大事な大事なことがある。それは、作家さんが1/1のキャンディちゃんと初めて対面したときに、絵本の制作段階での苦労や描き終えたときの感動や安堵感、なによりずっと会えなかった我が子にやっと会えたような感動が自然に芽生えなければ、僕らが誕生させた1/1のキャンディちゃんは、作家さんが描いたキャンディちゃんではないかもしれないということだ。

つづく。