朝の6時に自宅に戻り、シャワーを浴びて眠りについた。
ちょっと仮眠をとって出勤する予定だ。
一緒にいわき市まで行った川路蒼藝舎の川路社長は、放射線量のサーベイを昼から行い、異常なしと診断されて、すぐに会社に出勤して行ったらしい。
みんなタフだ。
愛知に戻ってきても、6月にいわき支店開業に向けての準備を行わなければならない。
その為に、非常勤工場長を任せる杉浦に、弊社扶桑本社まで来てもらい、打ち合わせを行った。
打ち合わせ内容は、いわき市店の開業日、スタート時の必要スタッフ数、コピー機や電話や作業台や椅子や、はたまた車までどうするかを話し合った。
まず、開業日は6月2日に決めた。
理由は【大安】でお日柄がいい事と、6月頭なので開始にはちょうどいい。
スタッフ数は3名の採用で始めようと決めた。
杉浦が指導しながら、立ち上げるには多からず少なからずだ。
機をみて少しづつ人を増やし、内職さんも含めて20人前後の雇用を創出できればと思っている。
電話やファックスや作業台や椅子等は、菅沼氏の知人が無償で提供してくれるとの事。
ありがたい。 初期投資が抑えられれば、その分を雇用にまわす事が出来る。
社用車は?
社長車は杉浦が用意してくれた。
彼の唯一の資産はiPhoneなので、車は所有していないはず。
ところが、持ちまえの人間性と行動力で日産のエックストレイルを見ず知らずの方から無償で貰ってきた。
流石です。
杉浦が弊社で研修を受ける日時も決まり、開業日も決まり、スタッフも3名を雇用する事に決まり、ほとんどの準備が整った。
ブログを読み返すと、ちょうど2ヶ月前の3月19日に
「被災地域での法人設立、または弊社エンジニアリングセンター設立を実施します。」
と書いている。
それから2ヶ月間、自分が出来るスピードで開業の準備をしてきた。
いわき市でいろいろな人に会い、いろいろな人に助けられた。
人と人との出会いで紡いだ縁で、6月2日を迎えられる事が出来そうだ。
長く長く、裾野を広く取り組んでいきたい。
余震や原発問題で揺れる、東日本の東北の縁もゆかりもない福島県いわき市で、これから徒手空拳でエンジニアリングセンターを始める。
けれど、すでにたくさんの仲間や友人知人が出来て、弊社や自分は孤独ではない。
だから、このプロジェクトは必ず成功させてみせる。
3年後に、家族の為に、いわき市の為に、福島県の為に、東北に為に、東日本の為に、日本の為に俺達はやってやるという人財にバトンタッチするまでは、意地でも。
そういった人たちの為にも、一日でも早く原発問題が収束し、福島や東北の地を追われる事がないように、一日も早く安定した生活が取り戻せる事を心から願っている。
東北復興プロジェクト15。
- 2011年5月19日
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