小名浜港が見えてきた。
大型の漁船がひっくり返り、地面が割れ、ヒビが入り、建物は激しく損傷していた。
港を見に来る人や、写真を撮りに来る地元の人がちらほらみえる。
震災から1っか月経過した港は、日曜日という事もあり日常の静けさと、震災の生々しい傷跡があり、すこし足がすくむ感覚。
港の多くの建物には、取り壊しの承諾の貼り紙がはってあり、時間が経過すればこれらの建物も取り壊されてしまうのだろう。
道路を挟んだ住宅街では、自宅の片付けや、掃除をしている住民のかたもちらほら。
先ほど通った鹿島街道のそれとは、まったく異なる風景。
1キロも離れていない地区から、一転、言葉を失うような光景。
県外から来た自分たちが、評論家気取り、知った顔で感想を述べるような状況ではない。
来てみてわかった。
テレビの前で、あーだこーだ言っていた自分が、浅はかだなと思った。
車に戻り、次に四倉に向かうことに。
運転している菅沼氏は3回目という事もあり、地理に詳しく軽快に運転をしてくれる。
海岸沿いに北上する。
津波被害にあった民家や店舗や病院を横目に見ながら、四倉の道の駅に到着。
道の駅では、多くの人が集まっていたので、何かと思い寄ってみたら、炊き出しの最中だった。
たしかに、海岸沿いで被害を受けた道の駅が通常の営業形態に戻るのは時間がかかるかな。
道の駅をしばらく見ながら、今度は幹線道路を南下して戻る事に。
南下してしばらく、右手にパチンコ屋があった。
そのパチンコ屋の駐車場は満員で、多くのお客さんが遊戯していたように見えた。
それを見ながら、しばらく走るとLEXUSとBENZのディーラーがあった。
そこにも、数人だけど、お客さんが車を見て商談をしている姿が見えた。
被災した地域を車で走り、炊き出しを見ながら、満員のパチンコ屋をみて、最後に高級車のディーラーで買い物をする人たちの姿。
この町の姿が、震災から1ヵ月経過した、本当の街の姿かも。
嘘いつわりのない、人間の生命活動の段階が、一つの街道で垣間見れた気がする。
その姿を見たことによって、逆に心底福島まで来てみて良かったと、なぜかそう思えた。
復興プロジェクト7。
- 2011年4月20日
- 友人
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