復興プロジェクト6。

  • 2011年4月20日
  • 友人
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8時に目覚め、朝食を食べる為にホテルの1階に降りると、震災の影響で、しばらくは朝食のサービスが無い事を知る。

であればという事で、駅前に食べに行く事に。

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口には出さないけれど、正直に言って、放射能の知識のない自分が、屋外を歩くことに少なからずの抵抗がある。

外を行き交いする多くの人が、マスクをして歩いている。

花粉の予防なのか、放射能の予防なのかはわからない。

自分もポケットからマスクを出し、おもむろにマスクをつけてみた。

そのマスクが効き目があるのか否かわからないけれど。




歩道や建物の壁には震災の傷跡が残るものの、入ったコーヒーチェーンは、多くの人で賑わっていた。

そのコーヒーチェーンも震災直後は客足が途絶えたが、いまは少しずつ客足も戻りつつあるようだ。

当日は、かなり揺れてとても怖かったと、店員のお姉さんが教えてくれた。




店を出て、菅沼氏と二人で車を運転し、津波の被災地である小名浜港に行く事に。

途中、工具を買う為に、地元のホームセンターに寄る。

工具は電線圧着機、ニッパー、ラジペン、スケール等々。

工具が品薄なので、県外から来た自分達が買わない様に、諦めて店を出た。



今回の被災地へ来た目的は4つある。

その一つが、被災地での法人または工場設立。

震災によって雇用がままならない地区での、雇用の創出が目的。

なぜ、愛知県民の自分が東北で起業活動を。 と聞かれるけれどそれはおいおい。

その被災地での法人または工場設立の為にも、工具が買い揃える事が出来ればと思っていたけれど、在庫が少ないので、諦める事に。

弊社からある程度持ってきた工具があるので、当面は起業活動をする事になっても大丈夫なはず。




ホームセンターも然り、震災から1ヶ月経ったからだろうか、人や車の多さにただただ驚いた。

飲食店や衣料店等々のお店が、普通に営業し、普通の企業活動がそこにはあり、普通の購買活動がそこにはあった。

事実、自分が福島にくる事は、家族に反対され心配もされた。

自分も原発の近くという事もあり、不安や恐怖もあった。

けれど、実際に福島に来てみると、原発から50キロ離れたいわき市では、西日本の人達が思うような状況では無い事が、訪れた事によって理解できた。

普通の生活がある。

西日本とかわらない普通の生活があった。

依然、原発がらみの問題は解決されず、福島を中心とする東日本が安全なのか否か、誰も確証がないまま生活をしているのも事実。

来てみてわかる事。

連日連夜マスコミから流れる情報と、目で見た情報をアジャストする事が大切だ。

自分が感じるマスコミからの情報は、福島全体が汚染されているようなイメージに、みてとれてしまう。

けれども、福島県民の深層心理は推し量るものがあるのの、ガソリン・電気・水道等のインフラが揃ってきた今となっては、通常の生活が出来る世帯が95パーセント以上らしい。






ここから5キロほど離れた被災地をまだ見ていない。

今から被災地に向かい、今後の被災地での企業活動の方向を考えたいと思う。

まずは、被災地の小名浜へ