福島工場 その3

  • 2014年9月5日
  • 友人
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前回からの続きで

その名古屋の友人社長と、東北に行くことになったのだけれど、まだその当時は東北の宮城県か岩手県に行くのが希望だった。


宮城県か岩手県に行くのとを考えていたのは、他意は無いけれど、理由は福島第一原発の事故があったから、それ以外の東北の地域ということで。


大震災のあった東北に行って、自分は炊き出しも出来ないし瓦礫拾いも出来ない。


出来ないと言うか、それは自分がやるべきことでは無いという考えがあった。


自分は製造業の会社の社長であるが故に、製造業を通じて東北をや東日本、はたまた日本全体を盛り立てていく事が、自分の出来ることであり、且つやるべきことだという自負があった。




もうその時には、タイのバンコクにオフィスを構える予定でいたけれど、それは一旦保留にしようと決めていた。


今まで中国でも商売をしてきて、しかも結構な商いをして、その度に日本の技術を流出させてるんじゃないか、とか、売国奴なんじゃないかと、精神的に苛まれながらも、その事実と自分の気持ちの折り合いがつかないまま、中国で商売をし続けていた。


その上、これからまたタイでも同じような商売を考えている。


でも、そんな時になぜか東日本大震災が起きた。


だから、タイのバンコクにオフィスを構えるのを一旦保留にして、東北の地に工場を構えようと決めた。


タイのバンコクのオフィスに使おうと思ってた資金は、東北の工場開設の資金に充てることにした。


中国で商売をしてきたことに対して、自分を納得させるための禊かもしれないし、自己満足かもしれないけど、自分は製造業の社長という立ち位置であるが故に、東北の被災者の人達と、東北の地に工場を立ち上げて、ますます先行きが怪しくなってきた日本の製造業の行く末に歯止めを効かせようと。


間違いなく、象と言う名の東日本大震災に、蟻と言う名の自分が立ち向かう様な構図になるだろうけど、いま自分が出来ることは炊き出しでも瓦礫拾いでもなく、東北の地に工場を立ち上げること。


そう思い、名古屋の友人社長と一緒に東北に向かうことに。


つづく