前回からの続きで
タイに開設するはずだったオフィスをペンディングにして、そのお金を福島工場開設に充当することになるんだけど。
とその前に、東日本大震災の直後にも、中国やタイに出張で出かけて行くことがあり、それらの国の街角にある出店の軒先に置いてある新聞紙面を見ると、日本で起きた東日本大震災に関する内容が、かなりシビアに書かれたものばかりで、諸外国の報道姿勢や日本に対する印象がネガティブなものだとみてとれた。
長期的な視点でみても、日本国内の受託型の製造業を中心に、決して景気が良くなっていくとは言い切れない事実を肌で感じながら、ここにきてこのタイミングでこんな震災が起きてしまって、この先の日本の製造業はどうなっていくんだろうか…
リーマンショックでまぁまぁの打撃を受けた後に、またもや試練か…
2011年3月、まだ寒さが厳しい遼寧省大連市の中山路の通りの出店の軒先にある、新聞の一面を見ながら、そんな想いに駆られた記憶がある。
その新聞を買って、ホテルに向かうために中山路を歩きながら、ふと名古屋の友人社長の事を思い出した。
そういえばその名古屋の友人社長は、震災の一週間後から、東北に炊き出しに行ってるって、言ってたな。
ホテルに帰って、その友人社長に早速メールをしてみた。
内容はこんな感じ、次に東北に行く時は、自分も一緒に連れて行って欲しい。と。
そして、そのメールを送信した一週間後には、その友人社長と一緒に東北に向かうことになった。
つづく
福島工場 その2
- 2014年9月4日
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