8年程前にこのブログを始めてから、とうとう1000投稿目。
月日は8年を要したものの、意外と苦もなく到達したので、感慨深いものはないけれど、せっかくの1000投稿目なので、今回は弊社の福島工場の事と、その福島工場の初代工場長の現況や宮城県気仙沼市の事を書いてみようと思う。
2011年3月11日に発生した東日本大震。
その翌月の4月から始まった、弊社の福島工場。
福島工場を始める前に、そもそもの予定として、タイのバンコクにオフィスを構えて、弊社の中国法人のビジネススキームを、そのままごっそり開設予定だったタイのオフィスに持ち込もうと思い、3.4年前は何度もタイに通っていたときだったかな。
そんな3年半前のある時、タイの空港から日本に早朝到着の便で本社に戻って、コーヒーを飲んでいると、本社のショールームのガラスが軋む音がしたと思ったら、建物自体が大きく揺れ始めて、しばらくその揺れは収まらずに続いてた。
その揺れが、あの東日本大震災。
その東日本大震災の後に、なぜ福島に工場を開設するに至ったかというと。
タイに開設するはずだったオフィスをペンディングにして、そのお金を福島工場開設に充当することになるんだけど。
その経緯を続きで書いていければいいかな。
つづく
福島工場 その1 (ブログ1000投稿目)
- 2014年9月1日
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