執念のいわき工場

  • 2013年8月8日
  • 友人
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もう本当に時間がかかった。


本当に本当に時間がかかった。


けれども、やっとのことでスタートラインに立てた。


2年2ヶ月もかかった。


ここまで来たら、もう執念みたいなものかな。






2011年の4月に福島県いわき市を訪れ、工場を借りる不動産契約をして、5月にはいわき出身の新しい社員さんたちの入社が決まり、6月には工場の操業を開始した。


操業当初は愛知工場からの転注でいわき工場を軌道に乗せた。


そして、徐々にだけれど東北の新しいお客さんとのお付き合いを始める事が出来た。


福島県いわき市で工場を操業するにあたり、当初から決めていた事がある。


それは、復興需要には手をださない事と、地元の同業競合他社の仕事は取らない事。

瞬発的な復興需要に手を出せば、その需要が先細りになって行った時に、それを見越して雇用したいわき市の社員さん達は雇用し続けられるのか。

震災でただてさえ大変な製造業。そこで敢えて同業競合他社の仕事を、他県の自分達が安い値段で受注してしまえば、自分達が福島県いわき市にまで出て来て、製造業を通じて東北の復興の一助となる、と言う事も本末転倒。



そんな思いもあり、製造業従事者の自分達だからこそ出来る何かをしなければと。


それがmade in Fukushimaの工業防災製品。


福島県いわき市の地で、これからも長く長く商売をして、多くの雇用を創出し、しっかりと納税をしながらも、made in Fukushimaの工業防災製品を世界中に拡販し続け、ネガティブに広まったFukushimaの名前をポジティブに変えていかなければ。


世界中で地震、津波、原発事故を体験したのは、後にも先にも福島県だけ。


そのような体験をした、弊社の福島出身の社員さんや仲間達の思いを乗せた工業防災製品を、やっとの事で試作開発する目処がついた。


やっとのことでスタートラインに立てた。


こらから試作開発で忙しくなるだろうけど、来年の6月1日には完成させる予定で走り出せる。


やっとだやっと。


紆余曲折を経て、困難を極めながらも、仲間に助けられながら確実に少しずつ地味に前に進む、弊社の福島県いわき市のいわき工場。


これから本格的にいわき工場の存在意義を、具体化していく事ができる。


東日本大震災から3年経ってようやくmade in Fukushimaの工業防災製品をつくり上げるいわき工場。


いわき工場はそこからがスタートなのかも。